JR畝傍駅

奈良県のJR万葉まほろば線にある畝傍駅(無人駅、橿原市八木町)には、大きな風格のある和風駅舎があります。今の利用者数からすると不相応な規模です。「なんで、こんな立派な駅舎があるの?」と疑問がわきます。畝傍駅は、立派でなければならない理由がありました。それは、忘れてはならない昭和の記憶につながります。

鉄道会社の統計を見ると、近年の畝傍駅の寂れ方がわかります。令和4年度の同駅の乗車人員は184,041人。歩いて10分ほどの場所にある近鉄大和八木駅(西口駅を含む)の乗車人員5,998,355人の3%にすぎません。しかし、畝傍駅は、大正9年(1920年)には、564,691人の乗車がありました。100年以上前の方が、ずっと乗車数が多かったのです。

橿原神宮の最寄り駅

畝傍駅は大阪鉄道という私鉄の駅として、明治26年に開設されました。駅の南西約1.5キロには神武天皇陵(畝傍山東北陵)、さらにその南に橿原神宮があり、その最寄り駅としての性格をもっていました。明治40年に鉄道国有化法によって帝国鉄道庁の駅となり、大正年間には、省線畝傍駅と呼ばれるようになります。

畝傍駅前の石柱

駅前の石柱(大正4年建立)

畝傍山のふもとは、記紀神話で神武天皇が即位し、橿原宮を築いたところと伝えられています。幕末期の文久3年(1863年)に神武天皇陵が造営され、明治23年には橿原神宮が創建されました。畝傍駅は橿原神宮創建の3年後に開業したのです。

昭和15年の行幸

貴賓室の北側入口

現在の駅舎は、昭和15年(1940年)に建てられ、皇室が利用するための「貴賓室」が設けられています。この年は、国家的祝典「紀元2600年」の年でした。紀元2600年とは、神武天皇が即位したとされる紀元前660年から2600年の祝典です。昭和天皇の橿原神宮行幸に向け、貴賓室のある駅舎の新調が必要でした。

国立公文書館のデジタルアーカイブで「紀元二千六百年祝典記録写真帖・第1冊」が閲覧できます。この中の写真「神宮並山陵ニ行幸 畝傍駅着御」(昭和15年6月11日)には、行幸の一行が、畝傍駅のプラットフォームを歩いているところが写されています(暗くてよく見えませんが)。この後、一行は神武天皇陵、橿原神宮に参拝しています。

神宮並山陵ニ行幸 畝傍駅着御

神宮並山陵ニ行幸 畝傍駅着御

奈良県橿原市の畝傍駅のプラットフォーム

今のプラットフォーム

橿原神宮の参拝者はこの年、1000万人に上ったといいます。畝傍駅東側に団体用の出入口があるのは、大量の団体客が押し寄せた名残です。

奈良県橿原市の畝傍駅東側階段

畝傍駅の団体用出入口(閉鎖)

紀元2600年 熱狂の「証人」

紀元2600年に関しては、全国で多彩な事業やイベントが行われましたが、奈良県は橿原神宮と神武天皇陵を拡張整備する記念事業を誘致しました。国が境域・陵域の造苑、施設整備を行い、奈良県が拡張用地の確保、区画整理、参拝道路の整備、鉄道線路の付け替えなどにあたりました。

また、奈良県は独自の記念事業として、神宮外苑での大運動場や大和国史館(現在の橿原考古学研究所)などの整備あたり、これには、7200団体延べ約121万人の「建国奉仕隊」が勤労奉仕しました。畝傍駅を経由して現地入りした人も大勢いたことでしょう。

紀元2600年記念事業のインフラとして機能した畝傍駅の駅舎は、紀元2600年の熱狂の「証人」なのです。

そして出征の駅

昭和15年といえば、ヨーロッパでは第2次世界大戦がすでに始まっており、5月にナチスドイツがフランスに侵攻しました。中国で泥沼の戦争をしていた日本では、奢侈品等製造販売制限規則の施行を受けて「ぜいたくは敵だ!」の看板が8月に設置され、10月には大政翼賛会が結成されました。大戦の足音が近づく中での紀元2600年だったのです。

NHKが制作した奉祝歌「紀元二千六百年」の一部をご紹介しましょう。そこには八紘一宇の思想がうたわれています。

(五番)
正義凛たる 旗の下
明朗アジア うち建てん
力と意気を 示せ今
紀元は 二千六百年
ああ弥栄(いやさか)の日は上る

紀元2600年の翌年12月、日本軍はハワイの真珠湾を攻撃し、アジアの戦線を拡大しました。

橿原市今井町出身の高齢者に聞いた話では、この畝傍駅から多くの若者がバンザイの列に見送られて出征し、帰らぬ人となりました。


保存活用策を募集中

畝傍駅の駅舎については、民間事業者を対象にした保存活用策の募集が行われています。

平成29年にJR西が橿原市に駅舎の無償譲渡を提案しました。しかし、耐震改修費などに2億円以上の費用がかかる上、コロナ禍で民間活用の見通しが立たなくなったことから、市は令和3年12月に民間活用を断念、駅舎は解体の危機に瀕していました。

コロナ禍が収束したことから市は翻意し、今年4月に入ってJR西日本に無償譲渡を提案して了承されました。

今後の予定

令和6年10月11日募集締め切り
    11月下旬ヒアリング審査
    12月中旬以降結果公表
令和10年4月ごろ事業開始

市民らからは、レストラン、カフェ、宿泊施設、図書館などのアイデアが出ています。

たんにレトロな駅舎としてではなく、こうした昭和の歴史を踏まえた活用方法を探ってほしいものです。