きょう11日は、商売繁盛を願う十日戎の最終日です。西宮神社など各地のえびす神社は大勢の参拝客が訪れたことでしょう。当事務所から100mほどのところにも恵比須神社があります。ここは、中世から近世、街道が交差する交通の要衝として、商業が大いに発展した八木村のにぎわいの名残です。河瀨直美監督の作品で2011年に公開された「朱花(はねづ)の月」のロケ地に選ばれています。

恵比須神社(橿原市北八木町1丁目2−28)の創建時期は不明です。石灯籠に寛文5年(1665)の銘がありますので、それより前からあったのは確かでしょう。八木村の市が常設化したのも、えびす信仰が広がったのも室町時代ですので、この時期に建てられたのではないかと私は考えています。

大宝元年(701)に文武天皇が諸国に市を作り、八木に市夷神を祀ったという伝説がありますが、えびす信仰の歴史からして苦しい説でしょう

八木村には古代から市が立っていたようですが、規模が大きくなったのは室町時代です。橿原市の南にある高取城主の越智家栄が、文明18年(1486)に八木村に数百間の市場施設を作りました。1間は2m弱ほどですので、数百メートルになります。現在、八木札の辻交流館がある札の辻から北へ伸びる街道沿いに市が開かれていたようです。恵比須神社は街道から50mほど西に入ったところにあります。商売繁盛を願うには格好の位置でしょう。

この恵比須神社を指すとみられる「蛭子宮(ひるこのみや)」が記載された古い絵図があります。この絵図には環濠とみられるものも記載されています。中世の奈良はたくさんの豪族が割拠して争いごとが絶えませんでしたので、町や農村では環濠をめぐらしていました。

恵比須神社と環濠がいっしょに描かれている絵図があることも、同社の起源が中世にあることを想像させます。この環濠の内側で、恵比須神社は北西の角あたりに位置します。

この地の中世の様子を詳しく書いた資料はありませんが、天保13年(1842)の記録によると、北八木に78軒、南八木に59軒の商家が並んでいたといいます。商いはバラエティーに富んでいて、造酒屋、造醤油屋、絞り油屋、米屋、魚屋、八百屋、豆腐屋、こんにゃく屋、うどん屋、菓子屋、旅館、紺屋、小間物屋、荒物屋、道具屋、畳屋、ろうそく屋などがあったようです。八木に来れば一通りの品はそろったことでしょう。

「えびす」が文献に現れるようになったのは平安時代の後期です。全国3500社のえびす神社の総本山である西宮神社では、もともと「漁業の神」として祀っていました。西国街道の宿場町である西宮には市が立つようになり、えびすは「市の神」として商売繁盛の神様となっていきました。「市の神」信仰は、室町時代以降の商業の発達と平仄を合わせて各地に広がっていきました。

市が立つ街道筋の町として西宮と八木には似たところがあります。「えべっさん」が勧請されるのは自然なことです。中世のあきんどに思いをはせながら、お参りしてみてはいかがでしょうか。