8月になり、お盆と終戦記念日が近づくと、亡くなった人のことを思い出す機会が増えます。先日、奈良の旧市街地を歩いていると、とても小さな蝉がシャツの胸の上に止まりました。あたかも、ブローチのように。いつまでもじっとしています。8月だからでしょう、その蝉が、誰かの生まれ変わりのようにも思えました。
先史時代から豊かな自然に接してきた日本人にとって、動物は人間に近い存在です。動物の中に人と同じ命の流れを見ます。日本書紀には、ヤマトタケルが死後、白鳥になって大和を目指したことが記されています。昔話にも、人間が動物になったり、動物が人間になったりするストーリーがあふれています。
特攻基地だった鹿児島県知覧町に、「富屋食堂」という小さな食堂がありました。出撃を待つ若い隊員たちが通い、主人の鳥濱トメさんは、隊員たちに母親のように接していました。
昭和20年6月5日、翌日に出撃を控えた宮川軍曹は富屋食堂を訪れます。翌日は宮川軍曹の20歳の誕生日でもあり、トメさんは心づくしの料理をふるまいました。基地に返る頃、近くの小川にはゲンジボタルが飛び交っていました。蛍火をみつめながら宮川軍曹は、翌日のこの時間に「蛍になって帰ってくる」と告げたといいます。翌日、宮川軍曹は沖縄方面に出撃し、帰らぬ人となりました。そして、約束の時間に、店の戸から一匹の蛍が、すーと入ってきたといいます。
ウクライナで戦火が続く8月、戦争の悲惨さを訴える戦争体験者や遺族の言葉が、例年以上に重く心に響きます。
追記
知覧飛行場跡地には特攻隊員を慰霊する観音堂があります。鳥濱トメさんらの要請で、1955年に建立されました。観音像は、奈良・法隆寺の夢違観音を模した像です。法隆寺近くに住んでいた私は、10年ほど前、知覧で夢違観音に出会い、とても驚きました。夢違観音は、悪夢を良い夢に変える観音様といわれています。胎内には1036人にのぼる特攻犠牲者の名簿が納められています。