7月8日、奈良市の近鉄大和西大寺駅で起きた安倍元首相銃撃事件で、警察庁は警護に関する検証結果を発表しました。事件の原因として指摘された奈良県警の「前例踏襲」などの姿勢は、誰にでも、どんな組織でもあり得ることです。それらが複合すると重大な結果を招くことを今回の事件は教えてくれました。
警備要員として現場に配置されていたのは十数人。ガードレールで囲まれた場所で演説する安倍氏の近くには4人の警護員(SP)がいました。安倍氏は後方の路上から容疑者に銃撃されました。
検証報告書から読み取れる問題点は次のようなものです。
①前例踏襲
奈良県警が作成した安倍氏の警護計画は、6月25日に同じ場所で自民党・茂木幹事長が演説した際の態勢を踏襲していました。制服の警察官もおらず、後方警戒は1人でした。茂木氏の時の聴衆は50人、安倍氏の時は300人。聴衆の多寡という重要なファクターが十分に考慮されていませんでした。
②正常性バイアス
警護計画作成時に、銃器による攻撃への備えなどが具体的に検討されず、上司による決済でも指摘されませんでした。国会議員に対する銃撃事件は30年起きていません。
現場では、聴衆の飛び出しや聴衆にまぎれた者の違法行為の警戒に重点が置かれていました。このため、1発目の発砲音がしたとき、銃器によるものだと、いずれの警護員も認識せず、2発目が発射されるまでの2.7秒の間に、防護板を掲げたり、安倍氏を退避させたりする防護措置をとることができませんでした。
これには正常性バイアスが影響していると考えます。それは、予期しない危険な事態が起きた時に、日常生活の延長線上でとらえ、事態を過小評価する認知傾向のことです。
③とっさの判断ミス
何事も計画通りにいくものではなく、状況に応じて柔軟な判断を求められます。しかし、間違えやすいのがとっさの判断です。
安倍氏が現場に到着後、前方の聴衆が増え始めたので、警護員だった警備課係長は、後方警戒の警察官に、ゼブラゾーンからガードレール内に入って、主に右側や前方を警戒するよう指示しました。これには交通安全上の配慮もありました。
人が増えた方を警戒する、交通事故が起こらないようにするというのは、間違った判断ではありません。しかし、結果として、容疑者の接近に誰も気づくことができない状態を作ってしまいました。
④あいまいな役割設定
実は、後方に警察官が誰もいなかったわけではありません。歩道上の容疑者から1~2mの至近距離に警備課長が立っていました。しかし、近くに日傘をさした人がいて、容疑者の動きに気付きませんでした。
警備課長は、警護計画上、安倍氏の身辺警護員に位置付けられる一方、現場指揮官としての責務がありました。報告書では、現場指揮官としての任務や権限が計画に明記されていれば、「南方向(後方)の警戒に当たるよう指揮することにつながった可能性がある」と指摘しています。警備課長は、後方警戒の警察官がガードレール内に入った状況も見ていました。
⑤経験則を過信?
警備課係長は警護計画の立案者でもありました。伊勢志摩サミットや大阪で開かれたG20など要人警護の経験が豊富でした。豊富だからこそ、現場判断で、発生する可能性の高い前方からの飛び出しなどに備えたのでしょう。計画を決済した鬼塚本部長も、警察庁警備課警護室長の経歴もあるその道の専門家でした。
経験豊富な人がそろいながら、死角がうまれてしまう。経験則が常に正しい答えを出すとは限りません。
ここに挙げた5つの問題点は、誰にも思い当たるふしがあるのではないでしょうか。また、認知バイアス(思考や判断の偏り)としては、「正常性バイアス」に触れましたが、このほかにも、
- 先行する情報が判断をゆがめる「アンカリング・バイアス」
- なんらかの決定をする際に、思い出しやすい事例に基づいてしまう「利用可能性バイアス」
- 自分にとって都合の良い情報だけを集めて、先入観を補強する「確証バイアス」
- 行動に迷った時、とりあえず周囲の人に合わせようと考える「同調性バイアス」
なども関係していると思われます。
認知バイアスは人間の心理特性であって、なかなか克服できるものではありません。失敗があったなら、危機意識を持ち続けて、教訓を伝えていくことが大切でしょう。