安倍氏銃撃事件のあった現場をどうするのか。全国的なニュースにはなっていませんが、地元では活発に論議されています。

奈良市の仲川市長は、事件の際に、参院選の応援弁士の一人として現場に居合わせました。新聞報道などによると、当初、「お参りできる場を設けたい」「歴史的な事件が起きた場所として記録すべき」として、抽象的なアート作品のモニュメントや花壇を作る構想を語っていたそうです。その後、政界に統一教会問題が広がり、国葬に関しても反対の声が強まったことから、「今、大きな決断をするのがよいのかどうか」と論調が変わってきています。現在、有識者の意見を聞いている段階で、近く、跡地の扱いについて複数の案を発表する予定です。

現場となった近鉄大和西大寺駅周辺は、今年度末の完成を目指して再開発事業の最中です。昭和63年に都市計画決定がされたもので、今は34年にわたる計画の最終章にあたります。

跡地の扱いについての私の意見は、
・再開発計画は市民本位で進めるべき
・今は追悼設備ではなく簡素な記念設備とする
・追悼設備を設けるかどうかは、後世の判断にゆだねる
というものです。
具体的には、路面に印となるものを設け、近くの歩道上に説明板を設置します。

安倍氏銃撃事件の現場
安部氏銃撃現場のガードレール

論点を整理していきます。

①再開発計画への影響


安倍氏が倒れた現場は、駅ロータリーに流入する南北と東西の道が交わるあたりで、ガードレールで囲って「中州」のようになっているエリアです。現在、付近の道路は4車線ですが、歩道を広げて3車線にする計画です。

道路を狭くして歩道を広げると「中州」が近づき、さらに広げると「中州」の一部を取り込むことになります。市議会の追悼設備推進派は、この場所にモニュメント設ければよいという考え方です。一方、道路が一定以上に狭くなると、消防車など大型車両の左折が困難になる可能性がある、との声が出ています。

交通への影響も重要な点ですが、そもそも、こうした事件によって、地方自治体が進める街づくり計画に影響が出ることの是非についても考えたい。街づくりは、市民の利便性、安全、地元経済の活性化などの観点から語られるべきでしょう。あくまで住民である市民本位に進めてほしいと思います。この追悼設備が市民本位のものと言えるのかどうかを問わなくてはなりません。

②追悼設備か記念設備か

功罪相半ばするのが政治家の人生です。当然、評価する人、批判する人の両方がいます。評価する人は、将来にわたって花を手向けたいと考えるでしょう。評価しない人にすれば、毎日、献花の場を通ることは苦痛でしょう。追悼するか否かは、ひとりひとりの心の問題です。

そうした政治家の評価とは関係なく、純粋に「あのような悲惨な事件は思い出したくない」という人がいます。事件直後は繰り返し流れるニュース映像を見て精神的なダメージを受けた人もいました。そうした人の気持ちにも配慮しなくてはならないでしょう。

災害、戦争、大規模の事故などであれば、鎮魂と伝承の必要性で市民や関係者の意見が一致しやすいでしょう。しかし、今回の事件をそれらと同一視するのには無理があります。奈良市に寄せられる意見でも像やモニュメントの設置に反対する声が多くなっています。

安部氏と同様、首相経験者である原敬が大正10年(1921)に暗殺されたのは東京駅ですが、その現場にはプレートが埋め込まれており、近くに事件の説明板が設置されています。

西大寺を、負の歴史の現場を巡るダークツーリズムの地にできるといった声も聞きます。しかし、そのような話をするのは、まだ時期尚早でしょう。

③いますぐ必要なのか

政治家の評価は歴史が定めます。死去直後に賛美され、時を経て否定される者、逆に直後は否定され、あるいは忘れられ、後世になって評価が高まる人もいます。評価は同時代人によって決められるものではなく、審判を下すのは歴史です。

追悼設備を作るかどうかは後世の人の判断にゆだねたらよいと思います。時を経て「奈良に必要」ということになれば、その時に建てればいい。現時点では、立地場所としては、安部氏の地元の山口がふさわしいと考えます。

龍馬遭難之地の石碑

慶応3年(1867)に坂本龍馬が暗殺された近江屋(京都市中京区河原町通蛸薬師下る西側)付近には、長くその場所を示すものがありませんでした。龍馬が薩長連合の立役者として評価され、「遭難之地」の石碑が建てられたのは、事件から実に60年後の昭和2年(1927)です。

また、明治11年(1878)に東京の清水谷で暗殺された大久保利通の「哀悼碑」は、事件から10年後に建立されました。清水谷公園は、この碑を中心に公園化されたものです。

海外に目を向ければ、1963年、ダラスをパレード中にオズワルドの凶弾に倒れたケネディ大統領に関する博物館が現地に開設されたのは1989年です。なお、被弾場所の路面には白い「×」印が付いており、そこから200メートルほど離れた地点に記念碑があります。

西大寺住民でもある仲川市長の適切な判断に期待したいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA